風景夢譚

楽しく学んだ歳時記の忘備録

170.夏・芒種:二十六候次候腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる・ふそうほたるとなる)

腐草為蛍は、明日(2016年6月10日)から6月14日までです。

枯れ草が朽ち果てて蛍に、蛍の異名に「朽草」とある。

蛍が、土の中で蛹になり、地上で羽化することで腐草為蛍となったようです。

小樽では蛍に縁のない生活です。

sikihuukei.hatenablog.com

渡部昇一氏の本に、「万葉集」成立、「歌の前に万人平等」だった「言霊」の栄える国があります。

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・・・・・(文章省略)

ユダヤ=キリスト教圏では、「万民は神の前に平等である」であるという考え方支配的であり、また、ローマでは「法の前に平等である」というのを建前としていた。

近代の欧米諸国では、だいたいこの二つの「平等」をよりどころにして人々は生きている。

毎日の生活は、法の規範に頼り、死後は神の正義に頼るである。

日本の万葉時代の人々は、言霊をあやつることに平等であった。

「和歌の前に万人は平等である」という発想がないと、「万葉集」のような体裁はとれなかったであろう。

作者が上は天皇から下は兵士、農民、遊女、乞食に至るまで各階層におよび、身分の差が見られない。男女の差も、地域も東国、北陸、九州の各地方を含んでいる。

当時の観念から言えば、言霊さえ感じられれば身分を問わない。言い換えれば、日本人は「歌の前に平等である」であった。

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もっとも、「大宝律令」などを経て身分制度がやかましくなってくると、あまり身分の低いものや問題のある人物の名前を出すことはばかって「詠み人知らず」とするようになる。

「和歌の前に平等」という意識が緩んできたことにほかならない。

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現在でも新年に皇居で行われる「歌会始」には誰でも参加できる。

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万葉集に選ぶ基準は、純粋に「いい歌かどうか」ということだけであった。

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2016年6月8日に庭の西洋文目を傘を差しながら小雨の中で撮りました。

画像を貼り付けます。

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義母によるとカタログではきれいな桃色であったとか。

縁あって10年ほど撮っているのですが、愛着を感じます。

朝日と水滴に恵まれるときれいに撮れるだろうと。

なかなか朝日と水滴の両方に恵まれることはないですね。

で、傘をさしてとりました。

水滴できれいにとれたかな。

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花びらを透過する柔らかい優しい朝日に恵まれれば、よりきれいに撮れたのではないかと思うのです。

なかなか両方に恵まれません。

午前五時半を過ぎたので、では、また。